安全のためと言うのは簡単だけど

ちょっと前に自転車のヘルメットが義務化されたとニュースで盛んに言っていたが、あれは正しくない。義務ではなくて努力義務だ。努力して下さいというだけだ。だから当然罰則も無い。

なぜテレビのニュースは正確なことを言わないのか。なぜ努力義務の努力を省いて義務というのか。おそらく警察庁の意向に違いない。マスコミと警察庁はなあなあだから、こういう表現になる。自分たちの権利を守るときには表現の自由がどうとかいうくせに、権力にからっきし弱い。まあ日本のマスコミはこの程度である。

ところで自転車に乗るのにいちいちヘルメットなんてするわけがない。私が自転車に乗るのは買い物に行くときがほとんどだが、買い物をする間ずっとヘルメットを持っているなんてゴメンである。邪魔でしょうがない。ヘルメットをして欲しければ、まずスーパーやドラッグストアなどにヘルメット収納用のロッカーを設置することだ。

電車と自転車を併用して通勤・通学している会社員や学生などは、ヘルメットを持って電車に乗れというのだろうか。どうも自転車に乗る前後のことが全然考えられてないようだ。想像力が欠如しているのか、それとも単にバカなのか。安全のためとかいう一方向からしか考えられないのでは、あまりにもレベルが低い。

自転車に限らず、安全性と利便性はどこかで妥協しなければならない。原発は危険だといって稼働しなければ、電気料金は高いままだしCO2の排出量も低減できない。自動車もたいへん危険で毎年何千人も事故で死んでいるが、便利だから使用しているわけである。安全性を最優先にするなら、自動車は全廃とするべきなのだ。

安全性と利便性の妥協点をどこにとるか。こういうところに知性が問われるのである。

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