死に目に会うって大切?

よく親の死に目に会えたとか会えなかったとかいう話を聞くが、そんなことがそんなに大騒ぎするほど大切なことなのか。それくらいだったら、普段どんどん顔を出せばいいのだ。その方が親も喜ぶだろう。ずっとご無沙汰していて、死ぬ間際になって騒ぐなんてバカバカしい。ナンセンスだ。
大体、死ぬ間際の人間なんて意識はもうほとんどないのだ。親の方は会っていることもわからない状態が多いだろう。死に目に会えたなんていうのは自己満足にすぎない。親のためではなく、自分のために騒いでいるだけなのだ。
盛大な葬式をする、立派な墓をつくるというのもそうだ。墓など死んでしまった人間にとってはどうでもいいものであり(見ることも存在を知ることもできない)、生きている人間の自己満足のためのものなのだ。ちゃんと供養したという満足が得られるためのものなのである。それ故、見栄えなどにこだわったりすることも多いわけだ。
最近では、海や山に散骨することも増えてきた。人間、死んだら土に還る。それでいいんじゃないかと思う。余計な装飾はいらない。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。