人生の終末には

「ジョニーは戦場へ行った」という映画を見たことがある。主人公のジョー(なぜかジョニーではない)は戦闘で手足を失い、目も見えなくなり耳も聞こえないし、話すこともできない。映画はすべてジョーの思い出や内的独白によって綴られている。

ジョーにできるのは回想と空想だけだ。何しろ動けないし、見えないし、聞こえないのだから。そしてそれは自分の将来の姿なのかもしれないのである。

年をとるとよく動けなくなるし、よく見えないし、よく聞こえない。だんだん映画のジョーに近づいていくる。しまいには寝たきりになって、いよいよジョーと同じようになってしまうかもしれない。

そこで大切なのは思い出なのだ。時を忘れて人生の思い出を反芻することができるほどの思い出を持っているかどうか。人生の終末にはこれが重要なのだと思う。動けなくなって、見えなくなって聞こえなくなったら、思い出の反芻しかすることがないのだから。

たくさんの思い出を持っているというのは、宝を持っているのと同じかもしれない。そしてたくさんの思い出を持つにはたくさん行動しなけれがならない。色々なことやって、色々な人に会って、色々な経験をすることによりたくさんの思い出を持つことができる。

本を読んだり映画を見たり音楽を聴いたり、スポーツをしたりギャンブルをしたり恋愛をしたり、仕事をしたり旅行に行ったり料理をしたり、自動車に乗ったり飛行機に乗ったり自転車に乗ったり、山に登ったり海に潜ったり。

色々やってたくさんの思い出を持つことが、動けなくなったときに宝となってくる。人生の終末は思い出に生きることになるかもしれないのだ。

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