琴奨菊戦であんなクソみたいな立会をした照の富士が優勝するところなど、見たくもないと思ってテレビをつけなかったら、なんと稀勢の里が奇跡の逆転優勝したとのこと。大失敗。見るのだった。まさかあんな状態で勝てるとは思わなかったのだ。
照の富士はここ1年くらいずっと膝が悪く、何度もカド番に追い込まれたりしていたのでガンバレと思っていたのだが、琴奨菊戦での変化には非常にがっかりした。体格も上回り調子も良い照の富士が変化する必要はまったくなく、大関としての取り組みを期待していた観客も大ブーイングだった。しかも相手の琴奨菊は大関復帰がかかった一番だ。ただ勝てば良いという姿勢には、相撲を理解していないのじゃないかという疑念も湧いてくる。
相撲はただのスポーツではなく、伝統芸能、様式美の披露という側面もあるのだ。ただのスポーツなら、土俵で四股を踏んだりあんなに何度も仕切りを繰り返したりする必要はない。三役揃い踏みも弓取り式もやる必要がない。大関には大関の、横綱には横綱の位に見合った取り組みが求められる。品位、風格が取り沙汰されるのである。
だから琴奨菊戦での照の富士の立会での変化は、大関に相応しくないとして会場からもブーイングが起きたし、私も見ていて呆れたのである。そんな取り組みを平気でやるような照の富士の優勝など見たくないと思って、千秋楽はテレビをつけずに読書などしていたのだが、実は稀勢の里が逆転優勝していたのをニュースで知ったのだ。
稀勢の里も本割りでは立会に変化したが、これは仕方がない。左肩にケガをした状態での取り組みなのだから、まともには当たれないのだ。照の富士が変化したのとは意味が違う。本来なら左が強い稀勢の里が、動きまわって右からの突き落とし。そして優勝決定戦では右からの小手投げ。左が使えなくてもなんとか勝ち切ったのである。
その2つの取組みはニュースで何度も見たけど、やっぱり生で見るのだった。驚きもひとしおだったに違いない。