地裁、高裁はなぜおかしな判決を出すのか

統一教会が献金に関して取った「教団に返金を求めない」という念書について、地裁、高裁の判決は統一教会の勝訴となったが、公序良俗に反する契約は無効ということで、最高裁は高裁に審理のやり直しを命じた。

地裁、高裁はどうしてアホな判決を出すのだろう。今回に限らず、こりゃおかしいだろうというような判決に対して最高裁がやり直しを命ずることが時々ある。まあ当然そうなるよなと思うわけだが、その前になぜ地裁、高裁はおかしな判決を出すのだろう? 地裁、高裁と最高裁は判事のレベルがそんなに違うのだろうか。

宗教社会学が専門で統一教会問題に詳しい北海道大学の櫻井教授は、「法律上の形式的な合理性よりも、被害者が勧誘を受けて献金させられた実質的な状況を総合的に判断している妥当な判決だ」と評価している。

この櫻井教授の話から判断するに、地裁、高裁のは”法律上の形式的な合理性”から導き出した判決なのだろう。理屈による判断なのだ。だから常識的に考えればおかしいと思う判決になってしまうのだ。最高裁は法律の理屈だけにとどまらず、被害者の状況等を考え合わせて、もっと広い視点での判断になったのだと思われる。だから世間でも納得できるものになった。

裁判員制度の目的はまさにこの点にあって、法律論の理屈だけでなく、世間の常識に照らして妥当な判断をするためのものなのだ。世間知らずの判事が法律上の理屈だけで判断するとおかしなことになる場合があるからなのだ。今回はそれが如実に表れたという形である。判事の能力向上のために、実社会でいくつかの仕事を数年くらい経験してみるというような試みがあってもいいかもしれない。

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