インターステラー

先月インターステラーを久しぶりに見た。4年ぶりくらい。結構面白かったと記憶していたので楽しみにして見たら、意外とイマイチ。映画ノートを確認したら、前回見たときにも◯はついていなかった。やっぱりね。なかなか面白い作品には◯、すごく面白い作品には◎をつけることにしている。

元テストパイロットのクーパー(マシュー・マコノヒー)はシングルファーザーであり、娘、息子とともに父親の農場に住んでいる。作物が育たなくなり、地球は食糧危機を迎えていた。ある偶然から宇宙の彼方への調査隊に参加することになり、激しく反対する娘と和解できないまま出発するのだった...

砂嵐などによって作物が育たなくなり、世界的な食糧不足に陥っていて、このままでは人類が滅亡してしまうから移住できる星を探しに行く、というのがストーリーの骨子である。それなのに危機感が非常に薄い。普通に食事しているし、ポーチで風に吹かれてビールみたいな物さえ飲んでいる。

もうコーンしか作れないと最初に言っていたのに、なぜビール(原料は麦である)が飲めるのか、なぜ普通の食事ができるのか。食糧危機で人類が滅亡するから移住できる星を探しに行くというのに、その前提がまったく成立していない。

しかも貴重な作物であるはずのコーン畑の中に車を乗り入れて、コーンを散々になぎ倒しているのだ。食料が足りないんじゃないのかよ。

宇宙船のデザインはいいし、未知の惑星の風景も良くできている。板みたいなロボットも面白い。全体的にSF的造形は素晴らしく、映像もきれいだ。しかし3時間もの長尺で色々理屈もこねている割にはイマイチ納得感もないし、最後の方は都合よくまとめている感じが否めない。父と娘の感動の絆、というのもテーマの1つなのかもしれないが、あまりそれを前面に押し出されてもね。それに調査隊のクルーのエゴがすごくて、なんだかゲンナリしてしまう。

そういえば最後に、ブラックホールの量子力学的データをモールス信号にして、宇宙の彼方から地球に、壊れたような時計の秒針の動きで伝えるというシーンがあったけど、こうなるともう理屈も何もない。どうやって地球の腕時計の秒針を動かすことができるのか。またこのようなデータをモールス信号で送信したら、全部送るのに何ヶ月、いや何年かかることか。唖然とするほどの適当さなのである。

実はクリストファー・ノーラン監督は理屈っぽい映画を作る監督だと思っていたのだが、この映画を見て改めて考えると、彼は感情の人だったのだ。感情の人、激情の人であり、理屈はすっ飛ばしてしまうのだ。だから最後も、SFとしての理屈も何もなく、愛を謳い上げるのだ。

なぜかマット・デイモンの名前がエンド・クレジットに出ない。結構な役どころなのに、データベースでも出演者の最後に名前が書いてある。なぜなのだろう?

クリストファー・ノーラン監督/マシュー・マコノヒー、アン・ハサウェイ、ジェシカ・チャスティン、ジョン・リスゴー、マット・デイモン、マイケル・ケイン、他主演
2014年製作

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