2つの「美女と野獣」

この間2014年版の「美女と野獣」(クリストフ・ガンズ監督、レア・セドゥ、ヴァンサン・カッセル主演)を見た(2回目だけど)。美女と野獣というと弱々しい美女と猛々しい野獣をイメージするが、今どきの美女はこれでなかなか気が強い。むしろ野獣の方が気弱な感じがするのだ。

それで1946年版のジャン・コクトー監督、ジョゼット・デイ、ジャン・マレー主演の「美女と野獣」も続けて見てみた。製作年度が70年近く違う作品である。当然映像効果は今と比べるべくもないが、廊下のロウソクの燭台が暗闇から伸びた腕になっていたり、なかなか凝ったものになっている。そして美女なのだが、これがまた気が強いのだ。

気の強い美女は現代だけではなかったのだ。昔の美女もやっぱり気が強かった。そして野獣は気弱だった。70年前と今とでは世相がだいぶ違うと思うので、映画もそれを反映して違ったニュアンスになっているかと思ったが、ほとんど変わっていなかった。昔も今も気の強い美女と気弱な野獣だったのだ。

「ベルの父親が町へ用足しに行った帰りに森で道に迷い、凍える寸前で偶然ある城にたどり着く。城には誰も見当たらないが、暖炉で暖まることができ、豪華な食事も用意されていた。すっかり元気になって城からの帰り際、ベルの土産に庭のバラを1輪摘んでしまう。これが野獣の逆鱗に触れ、父親の命を助ける代わりにベルは城で暮らすことになる。野獣と城に秘められた秘密とは...。」

この2作品はどちらもフランス映画だけど、こうなったら2017年版アメリカ映画の「美女と野獣」エマ・ワトソン主演も見てみるか。こっちはディズニーだし俳優陣も豪華だから、だいぶ雰囲気が違ってくるかもしれない。

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