普段の挨拶の言葉は、実は重要でない部分だった

「さようなら」等の挨拶など、日常使っている言葉の由来について、面白い話を見つけた。元々の出典は大森亮尚(古代民族研究所代表)さんの著述からとのこと。

「さようなら」という別れの挨拶語は、元は接続詞で別れの意味を含まず、当然、その後に続くはずの「これで失礼します」という別れの挨拶語が省略されているのだということ。本来は「さようなら、これで失礼します」という一連の言葉であって、「これで失礼します」が主たる部分、「さようなら」「さようであれば」というのは、何らかの状況を指し示す接続詞でしかないらしい。

このように、日本語には後に続く肝心なことばを省略してしまう癖があって、たとえば関西の商店で買い物をすると、店の人から「おおきに」と感謝される。この「おおきに」は副詞で、「ありがとう」につけて強調して「おおきにありがとう」ということばになるはずだったのに、いつの間にか「ありがとう」という肝心のことばが省略され、「おおきに」だけになった。

日常の挨拶語も同じで、「こんにちは」や「こんばんは」も、元々「今日は、よいお日柄で」とか「今晩は、よき穏やかな晩です」という、後に続くはずの挨拶語が略されているということなのである。

そういう風に考えてみると、「じゃあね~」なんていうのも、これだけではなんだか意味不明な言葉なのだった。「じゃあまた今度会いましょうね」あたりが省略されていると思われる。

言葉の後半を省略して「あからさまに表現しない」という日本人の好みが底流にあるせいらしいが、日常使う言葉が実はこんな構造だったというのは面白い。

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